2020年06月05日

アラスカー原野の思考―(4)

こんにちは。

あれから、腰の方もぎっくり腰になり、夜、どう寝返りをうって

も腰か肩に痛みが走り、眠れない夜が何晩か続きました。今は、

ようやく腰の方はおさまりがよくなってきましたが、肩は相変わ

らずです。

腰は、私の場合は無理してでも歩いたほうが良いようで、毎日、

散歩に出ていました。ある日、そんな私に、例のツミが、ご褒美

に(?)めずらしく姿を見せてくれました。ちょうど狩った小鳥

を枝の上で食べていたのです。

私がじっと見ていたせいか、最初は木の中ほどの太い枝で食べて

いましたが、徐々に上の細い枝の方に移動しては食べ、を繰り返

し、やがて姿が見えなくなってしまいました。時折鋭い声でなく

のはカラスを警戒してなのか、うまい!と思わず声をあげてしま

うのか、あるいは、食事時を無遠慮に邪魔した私に対する憤懣な

のか・・・・・? 野生動物は、言葉が通じない分、こちらがい

ろいろ想像できるおもしろい存在です。


さて、今回は前の続きで、一章のA節のさわり部分を掲載します。





A〈アラスカの野生動物や植物などの生態から〉

 星野道夫の代表的なエッセイ集のひとつ『イニュニック』(新潮社)

は、「エスキモー語で〔生命〕の意味である」と但し書きにあるよう

に、ほぼ全編、星野自身がその死生観を探究した書である、といって

も過言ではありません。

そこで星野は、野生の動植物の生態や死に直面した人物を見つめ、ア

ラスカで発見した自身の考えを私たちに語りかけます。

以下にその例をできるだけ挙げて見ます。

・針葉樹の枝に降り積もる雪は、森の生態系に大切な役目を果たして

いる。雪の重みはやがて弱い枝を折り、森の中に新しい光の窓をつく

りだす。・・・・・自然の終わりは、いつも何かの始まりである。

(新潮社版『星野道夫著作集2』P30)


・自然発生する山火事こそが、アラスカの森の多様性をつくりだして

いる。・・・・・山火事の後の植生がムースに適したものになるよう

に、森の木々の多様性がさまざまな生命を内包する。山火事の匂いは、

何かが変化してゆく匂いなのだ。(同P45)


・サケが、豊かな森をつくる・・・・森の奥まで行きついたサケは産

卵を終え、やがて死ぬ。その一生を終えた無数のサケが、川下に流さ

れながら、森の土壌に豊かな栄養を与えてゆくのだ。(同P52)


・彼の父親が生きていたら、僕たちはこんな時間をもたなかったかも

しれない。そして自分と健太郎君とのつながりは、これから新しく始

まってゆくに違いない。肉体は消えても、人が生き続けるとはそうい

うことなのだろう。(同P88)


・遠い昔、トーテムポールの上に落ちた幸運な種子が、人の体の栄養

を吸いながら根づき、長い歳月の中で生長していったのだろう。

(同P94)


・その中に倒木の上に落ちた運のいいものがいる。長い時が過ぎた倒

木はただの倒木ではない。さまざまな虫や菌類によって腐食した倒木

は、豊かな土壌の役割を果たす養木となったのである。それはナース

トゥリーと呼ばれ、その上に落ちた種子が一本の大木になるまで、そ

して自らは完全に消え失せるまでその役割を果たすのである。

(同P97)


こうして何度も繰り返されるこれらの考え方には、ある共通点がある、

ということに読者である私たちはやがて気づきます。星野も文中で、

ずばりこう表現しています。


・誕生、死、そして再生という無窮のサイクル(同P97)


この言葉こそ、星野道夫が『イニュニック』という作品を通して私た

ちに最も伝えたかったことなのでしょう。

そして、こうした考えは、やがて星野に、壮大な時空間のドラマを想

像させるようになります。


・海はどうだろう、氷河期が終わり、氷となって蓄えられていた地球

上の水分は溶け始め、僕たちは今、海が上昇する時代に生きている。

かつて氷河に閉ざされていた土地に再び海が押し寄せ、クジラがここ

に帰って来た。森も氷河もクジラも、姿こそ異なれ、何か壮大な意図

でつながる一本の糸のような気がしてくる。(同P99)


・だが、あと一万数千年たてば、その北極星の場所さえ他の星にとっ

てかわられるという。すべての生命が動き続け、無窮の旅を続けている。

(同P102)


こうして、途方もない時空間の広がりを身体感覚として受け止めるよう

になった星野の内部から、やがて《永遠》という言葉が紡ぎ出されるよ

うになります。それは、「時間」というものが、目的を達成するまでに

費やされたもの、と感じることの多い現代人にとっては、一見、荒唐無

稽に聞こえる言葉ですが、星野道夫の全著作を丁寧に追ってゆくと、あ

ながちそうしたものでもないような気がしてくるから不思議です。

星野は、アラスカの原野でカリブーを追い、南東アラスカではその森の

奥深くまで入り込み、時には、氷河の海をカヤックで旅をしました。そ

うしたさまざまな体験を通し、壮大な時間の流れを肌で感じてゆきまし

た。これについては四章で触れますので、ここでは詳細を避けますが、

この感覚が星野の死生観に、背後で大きく影響していったことは間違い

ないでしょう。

さて、ここでまた本文に戻ります。追究がここまでであれば、多くの読

者はさほど抵抗なく星野の考えを受け入れ、めでたく「読了」となるの

かもしれません。でも、それだけであれば、もしかすると、星野道夫は

やがては忘れ去られる作家の一人で終わっていたかもしれません。さす

がと唸らされるのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。






引用はここまでですが、A節で私は、読者をさらに深い思索に誘い込も

うとする星野の文章手法に驚きつつ、星野の考えをさらに探ってゆきま

した。










posted by soil at 15:36| Comment(0) | 星野道夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。