2020年05月21日

アラスカ―原野の思考ー(3)

 
はじめに少し言い訳を・・・・。

この5か月余り、ずっと、パソコンに向かいキーボードを打っていたため

頚椎症を悪化させ、以前は右腕でしたが、今回は左肩から左腕にかけて痛

み、しびれが走り、パソコン作業ができなくなってしまいました。原稿は

書き切ったのでそれはいいのですが、こうしてブログを書くのもつらく短

時間しか作業ができません。作業をしていると、首筋から肩にかけて筋肉

が張ってくるのがわかるので、できるだけ早く終わらせたいという気持が

出てきてゆっくり考えることもできません。そんな事情で、休み、休み書

いているので、筋の通った文章ではないかもしれませんが、ご承知おきく

ださい。


前置きが長くなりましたが、今回は一章の内容に少し触れようと思います。

一章の目次は次のようになっています。


一章 生命の根源―星野道夫の死生観とその今日的意義

  @〈生死の根源に迫る二つの視点〉・・・・・・・・・・・・・(9)

  A〈アラスカの野生動物や植物などの生態から〉・・・・・・(11)

  B〈狩猟民の暮らしぶりから〉・・・・・・・・・・・・・・(23)

  C〈大げさではない死〉・・・・・・・・・・・・・・・・・(25)








今回はまず、その@節を掲載します。



 @〈生死の根源に迫る二つの視点〉


日本も敗戦後、七〇有余年が経ちました。先の大戦で日本だけでも三一〇

万人あまりの方々が亡くなられたといわれています。そうした悲惨な体験

から、命の重みが多くの方によって語り継がれてきました。ただ、戦後半

世紀以上も過ぎ、昨今では戦争体験者が少なくなり、残念ながらそうした

ことも徐々に影をひそめて来た観があります。

その一方、戦前に比べればはるかに豊かな生活を享受していたかに見えて

いた暮らしの中から、児童虐待、自殺、不可解な犯罪や差別といった問題

が噴出し始めました。私たちは敗戦後のいつ頃からこのように命をないが

しろにするようになってしまったのでしょうか。

ずいぶん前のことですが、テレビを見ていてハッとしたことがあります。

ドラマの中の日常会話やバラエティーなどで、平気で「殺す」という言葉

が飛び交うようになったのです。私は戦後すぐの生まれだったせいもある

のか、そうした言葉は冗談でも使えませんでした。それは、私だけでなく

その頃の子どもたちみんなが、暗黙のうちに了解していた事柄だったよう

に思います。

記憶は定かではありませんが、星野道夫が、日本から飛び出してアラスカ

に渡ったのは、そんな言葉が飛び交い始める少し前だったような気がしま

す。

星野道夫がアラスカに行くことを決意したきっかけの一つが、若き親友T

(富沢裕二)の山での事故死にあったことはよく知られた話です。

星野は、『旅をする木』(文藝春秋1995年刊)の「歳月」や「一万本

の煙の谷」の中で、友人の死のいきさつや星野自身がそれをどのように受

け止めようとしたかを書いていますが、その文章からは、受け止めように

も容易には受け止めきれない思いが滲み出ています。そして、星野らしい

次のような印象的な言葉を残しました。


・Tが死ななくとも、ぼくはおそらくアラスカに行っただろう。しかしこ

れほど強い思いで対象に関われただろうか。自分だけではない。それは彼

をとりまく幾人かの人生を大きく変えていった。かけがえのない者の死は、

多くの場合、残された者にあるパワーを与えてゆく。(新潮社版『星野道

夫著作集3』p67)


アラスカに渡った星野の感受性が、生と死について、特に敏感になってい

たことは、こうした経緯からもよく理解できます。まるで定められた運命

のように、命について生涯追究し続けました。しかも、その対象が、人の

命だけでなく、あらゆる生き物の命であったことが、星野道夫を特徴づけ

ている最大の要因であり、魅力であったと私は考えています。星野道夫は

人間を含めた生き物の、生と死の根本原理を見つめようとしたのです。

また、アラスカは、そうしたことを考えざるを得ない場所であった、とい

うことも見逃せません。一言で言えば、アラスカは、生と死がむき出しに

なる場所であったということです。その自然環境は日本と比べるとあまり

にも過酷な場所でした。野生動物にとっても、それらに依存して生きる狩

猟先住民にとってもです。でもだからこそそこは、生と死が、ベールに包

まれることなく、いつもリアルに目に飛び込んで来ざるを得ない場所だっ

たのです。

そんなアラスカの原野で、星野は二つの視点で生と死を見つめてきたよう

に思います。

一つは、アラスカの大自然(野生動物や植物の生態など)から。そして、

もう一つは、狩猟民の暮らしぶりからです。

以下、主にこの二つの視点から、星野道夫がどのように命の本質に迫ろう

としたかを考えてみます。






以上が、一章の@節です。


A節で、私は『イニュニック』を中心に据え、星野の死生観を考察して

います。

このコロナ禍、私たちは否応なく、生と死を見つめざるを得ない状況に

立たされています。星野の『イニュニック』は、そうした意味でも、今

読んでみる価値のある作品だと思います。自宅待機の折、もう一度手に

取ってみるのもいいのではないでしょうか。


次回は、A節について少し触れたいと思います。












posted by soil at 09:11| Comment(0) | 星野道夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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